『電子耕』No.7-1999.8.12号
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週刊「74歳が送る農業文化マガジン『電子耕』」第7号

 --農業・健康・食・図書・人物情報--

http://nazuna.com/tom/denshico.html

1999.8.12(木)発行      東京・ひばりケ丘  原田 勉

mailto:tom@nazuna.com

*************************************発行部数750+32部******



<キーワード> 

 農業を中心として健康・食べ物・図書・人物・庶民の歴史を

めぐる雑学情報を提供し、お互いの意見交換の場を作りましょう。



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<NHK教育番組からのお知らせ>

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 きたる8月31日(火)夜10時からのETV特集で

「メルマガの世界」というタイトルの

 ドキュメンタリー番組が放送されます。

  それに原田 勉が出演し

「74歳が送るメールマガジン『電子耕』」が紹介されます。

 メルマガ発行者へのアンケート結果も、合わせてご覧下さい。



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<読者の声>

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○ 劇団文化座の鈴木光枝さん

http://nazuna.com/bunkaza/SUZUKI-MITUE.html

から:「年寄りの冷や水なんて、勉さんらしくないお言葉ですよ!

まだまだがんばって下さい。私は悪いのは膝だけで、それも家の中

では杖なしで平気です。10月いっぱいで退院できそうです。来年

の1月には「故郷」で関西公演の旅に行くのが楽しみです。」



○ 古里の友:「益々お元気の活躍で、時代の先端をゆく、イン

ターネット網を活用された、メディア、農業文化マガジンの週

刊発行、本当におめでとう。年寄りの冷や水どころではありま

せん、若い者顔負けの私たちの代表選手的立場のしごとです。

 今後ともおからだ大切に頑張って下さい。」



○ YASUTOMI:「インターネット、いつもエネルギーに

驚かされます。私もまともなインターネットEメールを働くよ

うにしなくてはならぬと思っています。」



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目 次



<舌耕のネタ> ◎敗戦前後・その時庶民は・長崎原爆

<庶民の歴史>  ○私の8・15(自分史・習作1)

<図書情報>    ○戦争・原爆を考える本



<夏の健康食>  8月の旬の野菜

                 (7)キムチと豚肉の炒めもの



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<舌耕のネタ>

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  ◎ 敗戦前後・その時庶民は・長崎原爆



 1945(昭和20)年8月15日、その時10歳だった人は

現在64歳になっています。20歳だった人は74歳、30歳だっ

た人は84歳です。この世代は、ともに日本が起こした太平洋戦争

(第2次世界大戦)に大きくかかわり、ある時は加害者に・ある時

は被害者になった人たちです。



 この人たちの敗戦前後の体験をぜひ遺しておきたいと思います。

庶民が戦争のはげしい中で如何に生きたか、どのように感じていた

のか、それを書き残す義務があると思います。

 私は自分でも書き、友人にも勧めています。賛成の方はぜひ、書

き残して下さい。メールマガジンに残したいので送信して下さい。

  

 8月になるといつも思い出すことがあります。



 私の小学校1年生からの親友であった跡上君は8月9日長崎に原

爆を落とされて大きな被害があったことを知ると、熊本から長崎に

いた友人を捜しにいきました。熊本の予備校で一緒だった友人が長

崎医学専門学校に入学して間もなかったからです。



 長崎は三日三晩燃えたあと瓦礫と死体の山になっていた。腐敗し

た死体からなんとも言えない異様な匂いが流れていた。跡上君は長

崎医学専門学校の学生が勤労動員されていたところを捜したが友人

は見つからなかった。死体の収容や病人の看護を手伝いながら被爆

地を七日間捜した。しかし結局みつからなかった。多くの医学生が

死亡していたことを確認しただけに終わった。



 私はその話を聞いてから、三十年あまりたってから、跡上君の入

院を知った。血液の中の血漿に異状があるということだった。長崎

医大の血液学研究教授のもとで治療を続けたがついに三年目くらい

に帰らぬ人となった。

 長崎原爆の放射能の影響であった。今でいえば血液ガンである。

  こうして、私の親友は長崎原爆から30年後に放射能によって亡

くなった。



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<庶民の歴史>  ○ 私の8・15(自分史習作1)

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 航空エンジンの試運転工から陸軍の飛行隊へ     原田 勉

                     

 1942(昭和17)年春、私は東京高等獣医学校に受験のため

熊本から上京した。そのまえの12月8日、日本は米英蘭に宣戦布

告し、フィリピンから東南アジア一帯をつぎつぎに占領し、毎日の

ようにラジオから軍艦マーチが聞こえて庶民も戦勝気分に沸いてい

た。

 だが、わたしは受験に失敗。本郷の叔父の家から神田の予備校に

通いながら大学入試の準備をしていた。



 ところが43年(昭和18)年になると2月にはガダルカナル島

を撤退。4月には連合艦隊司令長官山本五十六がソロモン諸島上空

で米軍機に撃墜され戦死。5月末にはアッツ島守備隊2500人玉

砕、と戦況は不利になる。



 6月末には学徒戦時動員命令によって軍需生産に従事することに

なった(これから敗戦まで300万人が学業を休止して動員された)

 国民徴用令の改正され、平和産業やサービス業従業員はこの年に

70万人が軍需産業に徴用された。



 私は予備校生だったが12月に中島飛行機工場に徴用された。現

在田無市にある住友重機工業の北隣にあった中島飛行機の航空エン

ジン試運転工場に配属された。仲間には不動産業の社長や東京劇場

の支配人もいた。



 その年は11月学徒出陣も始まっていたので、のうのうと浪人は

していられなくなった。徴用されると、ガソリンのドラム缶運びや

エンジンの組み付け。プロペラまわし、計測の手伝い、取り外しと

追いまくられ、手にはアカギレ、擦過傷が絶えなかった。

 そして週に2、3回の徹夜作業で受験勉強はできなくなった。し

かも徴兵検査は1年繰り上げられ1944年の11月、満19歳で

軍隊に召集されることになった。



 東京を離れ熊本にむかったころ、東京では米軍の大型爆撃機B2

9が、70機押し寄せ本格的初空襲があった。武蔵野町の中島飛行

機武蔵製作所が大きな被害をうけた。

 死亡者のなかに武蔵野女子学院の生徒4人、第5商業学校の生徒

10人が含まれていた。



 私が入隊した所は、四国松山城の堀之内、陸軍飛行隊。飛行隊と

いっても飛べる飛行機は一機もない。整備兵の教育隊だから仕方が

ないとしても、試運転工場で扱っていた最新式のエンジンなど、教

材としても、見ることはできなかった。



 あるのは何処の軍隊も同じ、きびしい新兵教育であった。



 1944(昭和19)年12月から45年3月までの4カ月間、

昔だったら1年かけた新兵教育をこの短期間に仕上げるという促成

訓練である。それだけに、昼間は戦闘訓練、夜は兵器の取扱いから

内務班教育と、毎日毎晩鉄拳がとぶ厳しさだった。

  とくに毎晩の点呼前後は初年兵全員が直立不動の姿勢で気合いを

いれられる時間である。



 軍人勅諭や戦陣訓などの暗唱、軍隊用語、姿勢などの強制。そし

てそれが出来ないとビンタをとられる。また不始末をした兵隊の戦

友(6、7人)は、全員が責任をとらされて、相互に殴り合うこと

を強要され、中には私的制裁を受けるものもあった。

 となりの班では要領の悪い初年兵が古年兵になぐられて起立不能

になり、やがて病院で死亡した。



 私も3カ月間は、ほとんど毎日のようになぐられた。殴られなく

なったのは、次々に入隊する初年兵が栄養失調になり、目にみえて

病弱者がふえ、すべての制裁を禁止するという、師団長命令が45

年3月に出てからである。



 軍隊の食事は地方住民よりよかったが、新兵のめしはコウリャン

いり、それもお碗半分、身のない味噌汁だけだった。練兵で体力を

消耗するのに栄養は不足する。そのため栄養失調兵が続出した。

 入隊時体重75キロあった友人は50キロに減り、私は49キロ

が41キロになった。訓練から帰ると階段を昇るのもやっと。夜は

小便に7回も起きて寝る暇がない。



 栄養失調のひどい兵隊は下痢が慢性化し、いくら食っても腹にた

まらない。さらにシラミによる発疹チフスを併発して入院するもの

も出てきた。こうして私の班だけで、48名の初年兵中5名が4カ

月の間に死亡した。その中に同じ熊本から一緒に入隊した戦友がい

た。



 病院で生きたまま体温が30度以下にさがっていたという。死亡

したとき、私たち戦友は霊安所の屍(しかばね)衛兵についた。

 そのとき、冷たくなった屍から何匹ものシラミが這い出すのを見

てぞっとした。冷たくなった屍にはシラミも用がないというのか。



 栄養失調になると食べ物にさらに、いやしくなる。古年兵の残飯、

味噌汁の大根葉を新兵同士が奪い合った。私も一つの碗を取り合っ

て顔をみたら同じむら出身の戦友であった。

 我ながら哀れだった。身も心も餓鬼のように人間らしさを失って

いた。



 45年4月、検閲を終えた新兵は一等兵に進級し、多くは南方と

満州に転属していった。

 その頃四国でも空襲があったが、3月9日の東京大空襲は知らな

かった。4月、沖縄に米軍が上陸し、悲惨な戦いの末6月に日本軍

全滅したことは、かすかな風の便りで知っていた。いよいよ本土決

戦、やがて自分も戦死かと覚悟した。

 7月25日になって仙台飛行学校にむかった。その翌日26日の

夜、松山市は大空襲で全市が焼けたというのも後で知った。



 四国から岡山、姫路、神戸、大阪と何処でも焼け野原であった。

東京ももちろん焼け野原、そこから仙台に着いたら延焼中であった。

いよいよ全国的な中小都市まで空襲をうけたのである。

 

 戦後になって、村に帰ったとき、一緒に出征した戦友は、三人の

うち一人が戦死して帰らなかった。



 敗戦後、再び上京して就職してから何年もの間、ときどき悪夢に

うなされた。召集礼状がきて、軍隊にひっぱられる夢である。長い

道中、ついにまた軍隊かと恐れおののき、松山の軍隊の営門をくぐ

る直前にハットして目がさめる。

 そのとき、びっしょりと汗をかいていた。



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<図書情報>○戦争と原爆を考える本

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  8月敗戦記念日にちなんだ図書のいくつかを紹介したい。

  少し古い本であるが図書館などで読んで欲しい。



  <図書館の相互貸出:地元の図書館に無い本でも、頼めば他の図

書館に頼んで、取り寄せてくれます。送料は地元図書館か自己負担

になる場合もあります。書名・著者・発行所が分かればたいてい貸

出できます>  



○『オランダ兵士長崎被爆記』レネ・シェーファー著 緒方靖夫訳

 草土文化 1983刊

http://www.trc.co.jp/trc/book/book.idc?JLA=83-16747



  広島にくらべて長崎原爆の本はすくない。その中でもこれは異質

で、しかも優れた本である。8月9日、長崎にあった捕虜収容所で

被爆したオランダ兵士の本である。

 著者は序文で言う。

「私の本は戦争をテーマにした本ではあるが、憎しみも戦場も、英

雄も登場しない本である。私の本は平和のための戦争の本である。

そのためになおのことわが国では商業ベースでの出版がきわめて困

難だったのだろう。

 私の回想録の日本語訳を読まれるみなさんは、次のことがおわか

りになるだろう。オランダではいまなお原爆投下は平和のためであ

った、という考えがまかり通っている。しかし、それに対して私は、

原爆が投下されたことによって、捕虜の立場から解放されたという

主張を拒否しつづけていることが。また、私の人生は、原爆によっ

て今日あることをも理解されるであろう」



 長崎で被爆した外国人が、自分の目撃したことをかたり、また35

年後の長崎を訪ねたとき、「未来をみつめ平和を手に」と訴えている。



○『多摩百年のあゆみ』多摩百年史研究会編著 けやき出版

 1993刊

http://www.trc.co.jp/trc/book/book.idc?JLA=93015912



  明治26年に神奈川県の三多摩から東京の三多摩に移管されて百年

の歴史をまとめた本である。明治の自由民権運動から調べ、大正デモ

クラシーも述べているが、私の興味をかき立てたのは「戦時下の多摩」

であった。軍需工場が疎開し、中島飛行機が進出した。そこに動員さ

れた学生や徴用工、そして空襲での被害。いまは平和な住宅地になっ

ている多摩地域の悲しい歴史である。



(グラフィク・レポート)

○『昭和の戦争記録』東京都目黒区編集 岩波書店1992刊

http://www.trc.co.jp/trc/book/book.idc?JLA=91007584



  目黒区役所が中心になり、目黒区民がかたり、石川光陽写真家や

森田写真事務所の協力。

 戦争にあった庶民、疎開した児童たちの哀しみを伝えている。



○『東京大空襲の全記録』石川光陽著 岩波書店1992刊

http://www.trc.co.jp/trc/book/book.idc?JLA=92007788



 1942(昭和17)年4月18日荒川区尾久で一家6人が惨死

した。東京初空襲であった。それから2年半ぶり、本格的空襲が

始まったのは武蔵野町であった。そして3月10日の空前の皆殺し

爆撃から敗戦までの全記録である。石川光陽の撮影日記が説得力

がある。編集は森田写真事務所。





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    <夏の健康食> 

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◎ 8月のしゅんの野菜

 ミョウガ、キュウリ、カボチャ、ナス、トマト、ピーマン、

シシトウガラシ、トウモロコシ、オクラ、サヤインゲン、

エダマメ、トウガン、シロウリ、コナス、レタス、根ショウガ、

葉ショウガ、モロキュウ、



(7)キムチと豚肉の炒めもの



効用:全国的に酷暑がつづきます。食欲も減退します。こんなとき、

キムチに入っているニンニクが豚肉のうまみとよくとけあい、思わ

ず一膳よけいいに食べられ、スタミナがつきます。

 トウガラシにはカロチン、ビタミンCが多くふくまれ、白菜も

ビタミンCやセンイが豊富ですから健康的です。



作り方:1、豚肉のロースか、もも肉の薄切りをせん切りにする。

2、キムチもそのままざく切りにしておく。

3、中華なべにサラダ油を熱して豚肉を炒め、色がかわったら、ざく

切りのキムチを加え、ざっと炒めてできあがり。



○ 5、6分でできるスピード料理だが、ちょっと目先がかわって、

若い人にも喜ばれる。キムチを入れてから炒めすぎないことがコツ。





<文化座ニュース>

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「『電子耕』読みました」と付記して以下のアドレスにご予約いた

だければ一般券が1割引になります。

mailto:webmaster@bunkaza.com



------ 予 告 -----------------------------------------

第8号:8月19日「1000年前の稲の品種発見・他」

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●協力をいただいているサイト紹介コーナー

「農文協ルーラルネット」

http://www.ruralnet.or.jp/

「太陽コンサルタンツ」

http://www.taiyo-c.co.jp

「劇団文化座」

http://nazuna.com/bunkaza/



ここまで読んでいただきありがとうございました。



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または、電耕掲示板

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