「60歳からのあくせく自適な人生」   原田 勉   2000.3.21

  「60歳からのあくせく自適な人生」   原田 勉   2000.3.21

第1章・記録編

1985年・3月21日60歳、
 (還暦の祝いに)80歳の農文協副会長岩渕さんの餞の言葉「一日一日を楽しく暮らして長生きせよ」この時から私は老後の心の自由を獲得できた。
 職員はここで退職するが、理事は現職(制作管理部長)をはずれて専務理事の補佐としてフリーとなり部署に関係なく新規の企画開発に当たる。

1986年教育用絵本『ふるさとを見直す』絵本(全10巻)開発する。
農文協の絵本作りの始めだった。以後絵本・『自然と遊ぼう植物編』などシリーズものを毎年多く刊行することになった。

1988年・63歳
  農文協理事のまま、練馬区にある子会社「文協社」社長と(財)農文協図書館常務理事を兼務することとなる。週に何日か練馬への出向。

  農文協はかねてから日中友好のため農業科学技術の交流を意図していた。
 日本の明治以来の中国侵略の贖罪と中国農業支援を目的とするために農業書の出版・映像作品の制作提供など農文協の蓄積を技術供与することであった。
  坂本専務の主導で始まった中国農業科学院との交流の手始めに88年10月日中合作映画「黄河にみどりを」の国内撮影に私が協力することになった。中国ロケは中国黄河上流でおこなっていた。日本では、鳥取県倉吉市の小学校生徒が葛(くず)の種を中国におくって砂漠で育てる支援をしていた。中国農業映画社の3人のスタッフを東京・神戸・倉吉と案内してロケを行った。 

1989年64歳
 5月日中合作映画編集打ち合わせと中国農業科学院・農業科学出版社と提携工作のため単独訪中。まだ北京空港が整備まえで到着から出迎えの人に会うまで2時間かかった。友誼賓館を拠点に中国農業部(大臣)訪問、『10億人を養う』の邦訳を約束、映画の合作、「日中農業科学技術文献陳列室」 を農業科学院に設立する準備をすすめた。
  5月下旬天安門広場には100万人のデモが連日行われ、ゴルバチョフ訪中も成功しなかった。北京脱出が難しくなるまえに帰国。6月4日に天安門事件が起こった。そのため10月の国慶節には民間人代表で坂本専務と私だけが招待されて、人民大会堂の前夜祭、トスカのオペラ、サッカーの国際試合など見学。「国の困難なとき助け合うのが真の友情だ」と歓迎された。
  『黄河をみどりに』(葛的故事)完成、後にビデオ化。
  11月からは近藤康男著『農文協五十年史』の編纂を助ける。
12月師と仰ぐ岩渕副会長を喪う。葬儀いっさいを取り仕切る。

1990年65歳
1月16日雪の中岩渕直助合同葬の司会、「岩渕さんを偲ぶ」スライド上映(構成演出担当)。5月近藤康男『農文協五十年史』刊行。
  6月農文協子会社図書物流専門文協社社長になる。10月教材ビデオ『中国の食べ物と暮らし』編集のため訪中。

1991年66歳
 9月中国北京に「中日農業科学技術交流文献陳列室」の開設式に日本から農業図書・映像作品を寄贈、代表団を組織して参加。「日中農業普及シンポジウム」を行い、交流した。
  以後日本国内に文献陳列室支援組織をつくり、毎年農業図書を送る事務局を農文協図書館におきその担当となる。
  文協社社員旅行で北京を訪問。

1992年67歳
  文協社にノートパソコンを導入5月の連休にワープロ作業をマスターする。
 事務の傍ら近藤康男先生の生い立ちから大正・昭和の思い出を聞き書きワープロにまとめる。この年劇団文化座友の会の理事となる。

1993年68歳
  2月文化座友の会会長代理で新年会の挨拶、以後恒例となる。
  5月東京農林専門学校の同期会の事務局となり、会報発行を毎年行う。
  自宅にノートパソコンを購入、自分史、エッセイを書く。

1994年69歳
  1月から朝日カルチャーセンター「フィクションの書き方」講座(木・夜)に参加。3カ月に1本(400字50〜100枚)の短編小説を提出。
  5月恩師・農地工学の山崎不二夫先生、農業経済学の大谷省三先生相次いで亡くなる。先生とお慕う人が亡くなった悲しみ深し。
  8月「東京農工大学日中友好会」秘書長となり、中国同窓生交流を深めるため訪中、北京周辺の農村・郷鎮企業・名所を見学、以後毎年訪中する。

1995年70歳
  3月尊敬していた農文協の先輩の『評伝・岩渕直助ー農文協の五十年史ー』 を完成。初めての単独著作、不十分ながら恩に報いる。
  4月近藤康男編著『農文協五十五年史』を編集・制作、刊行。
  6月四国松山市訪問、1945年8ケ月の陸軍飛行兵訓練の旧蹟を訪ねる。
 後に訓練中に殉職した戦友のことを素材に短編小説を書く。
  7月準恩師菱沼達也先生死去。1948年以来兄事してきた師を悼む。
  10月恩師の追悼集『大谷省三・情熱と信念のひと』を編集完成。
  11月山崎農業研究所株式会社に改組して取締役となり、事業部・図書出版委員長を担当。第1回安富六郎著『環境土地利用論』刊行。

1996年71歳
  6月劇団文化座、鈴木光枝・佐々木愛と友の会の仲間20名で訪中。文化座は1945年敗戦を満州で迎え抑留された。大連・旅順、長春、北京を訪問。中でも長春(元新京)は満州映画社のあとが長春映画制作所になっており、鈴木光枝など思い出深い場所だった。
  山崎農業研究所では山崎不二夫著『水田ものがたり』を刊行。
  9月東京農工大日中友好会では杭州で第3回中国同窓会行う。7000年前の稲作遺跡や名勝地黄山・屯渓を見学一行33名。
11月菱沼達也先生追悼集『研究も改善も農民とともに』に小評伝「菱沼達也」を執筆。私にとっては、恩師につぐかなりな影響を与えて下さった先生だが、その恩に報えたかどうか。恥ずかしい限りだ。

1997年72歳
  1月4日農文協で「近藤康男白寿を祝う会」を行い「私の歩んだ途」を講演して貰う。後に録音テープ作成。
  1月末、右目眼底出血、網膜中心静脈閉塞症と診断、レーザー光線など治療を重ねるが視力回復せず、左目だけで読書・ワープロ能率半減す。
  3月末で文協者社長退任。農文協図書館事務局長兼務。常務理事は無給。 5月近藤康男先生の伝記を書くため一度は訪ねたいと思っていた岡崎市の旧家跡を訪問。実家は人手に渡り、2度の東海地震でほとんど新築になり、敷地の3分の1は道路になっていた。それでも井内町の古老の案内と安藤町の従兄弟が健在で、安藤川改修の碑も祖父の写真も残っていたのは幸いだった。この時の撮影した写真が後々役に立つことになる。
  6月劇団文化座中国公演「サンダカン八番娼館」友の会として応援鑑賞団団長として参加二十数名。中国の同窓生・科学技術社・映画社の友人十数名も招待、好評のうちに長春に向かう。日中友好病院で眼科の鍼治療を受ける。
  8月農工大日中友好会第4回中国同窓会に参加。眼科の鍼治療と友人宅を訪問、息子 太郎も同行し、北京見学す。
  9月農業経済学の教え子と全農林主催の「近藤康男先生の白寿を祝う会」が開かれる。東京高等農林学校教授時代の教え子とともに参加。
  11月広沢吉平著『中国農政史』近藤康男編を手伝い制作・刊行。

1998年73歳
  6月山崎農業研究所編『21世紀農政の課題』制作刊行。
  7月から近藤康男編著『七十歳からの人生』の一部「解説・七十歳までの人生」・年表・写真撮影を分担編集する。刊行は12月。
  12月『現代農業』新年号特集「百歳現役」に四組登場。百歳を迎えた農政学徒 近藤康男先生に聞く「七〇歳からが人生の果実の収穫期」インタビュー・原田勉(農文協図書館常務理事)。
12月末、近藤康男先生が1月1日百歳を迎えるというので、朝日新聞、毎日新聞から自宅と農文協図書館に取材記者来訪、秘書役として介添えする。

1999年74歳
  1月1日朝日新聞「ひと」欄に「元日で満100歳になる現役の農業経済学者近藤康男さん」と紹介される。
  1月4日農文協主催「近藤康男先生百歳を祝う会」を開く。
  1月15日毎日新聞いきいき生活欄に百歳現役近藤康男さんの紹介記事。
 その後も全国農業新聞や雑誌のインタビューが続くのでホームページを計画する。
  6月インターネットで近藤康男と原田勉のホームページを開設。
  6月山崎農業研究所、田淵俊雄著『世界の水田日本の水田』刊行。
  7月1日から週刊Eメールマガジン『電子耕』を発行し、農文協図書館・山崎農業研究所・文化座などの情報提供を始める。これが「74歳が送る農業文化マガジン」として最高齢の老人がインターネットのメルマガを発行するというので朝日・毎日・東京新聞やNHK教育テレビで紹介され、読者も1350人になった。
  9月には東京農工大学の中国同窓会と交流のため昆明の雲南農大を訪問、その後、山岳農業と小数民族の村を訪ね、玉竜雪山の高地にも登った。
  ところが10月突然脳内出血で1カ月入院。幸い軽症ですんだので、今後は仕事・勤務を3分の1に減らし、メルマガ『電子耕』も隔週に発行することなった。これは残る余生を若者と交流し、自分の人生経験を後世に伝え、老人がいかに衰え、いかに生きるか、生態観察の紹介をしたいと思った。

2000年75歳
  1月4日農文協創立60周年記念式で永年勤続者(50年)として表彰。
  2月19日日経流通新聞「先探人」欄に「74歳、メールマガジン発行原田勉さん」として『電子耕』とともに紹介。読者1400人を超える。
  3月1日ヘルス&ケア紙にお元気シルバー登場!「ネット通じ世代をつなぐ75歳の現役ライター 原田勉さん」と紹介。
  3月1日山崎農業研究所編『食料主権・暮らしの安全と安心のために』を編集刊行。発売は農文協。
  3月21日満75歳の誕生日を迎える。

  今年の課題は20世紀の最後の年として「近藤康男の三世紀『20世紀の農村・農民』」を完成する予定。くわしくはインターネットでご覧下さい。

<インターネット・ホームページの案内>

75歳が送る農業文化マガジン『電子耕』
http://nazuna.com/tom/denshico.html 
百一歳翁の恵・101歳の農業経済学者近藤康男の三世紀 
http://nazuna.com/100sai/
75歳の伝記ライター原田 勉 
http://nazuna.com/tom/
原田 勉(自宅・農文協図書館共通)のメール Email:tom@nazuna.com

<関連サイト>

図説「近藤康男の三世紀」20世紀の農村・農民<光と影>目次
http://nazuna.com/100sai/20th-index.html
「農文協ルーラルネット」http://www.ruralnet.or.jp/
「山崎農業研究所」http://www.taiyo-c.co.jp/
「劇団文化座」http://bunkaza.com/
 


第2章・回顧編

 この15年を省みると次のように要約できる。

1、60歳から「一日一日を楽しく暮らそう」と心の自由が得られる身になった。

2、でも、お礼奉公に子会社の雇われ社長になって、お勤めはした。だが、自分のやりたいことは暇をみて出来るだけやった。

3、その一つが中国との民間友好交流。先ず中国への贖罪をすること。それには今まで私の映像制作・図書出版の蓄積を中国に技術移転することで、中国農業の安定を図ること。中国農民の食糧確保なくしてアジアの平和はない。その支援をするため毎年のように中国に農業図書を贈り、中国の旅をして日 中の草の根民間交流をしてきた。

4、国内でも現役時代に身に付けた技術をもって、映像・図書出版の手助けをすること。出版したい人は多い、その産婆役・編集制作を補佐すること。結果的には年表にあるように脇役として毎年何点かの図書を生みだしている。
  その代表は近藤康男先生の著述であろう。次は山崎農業研究所の図書5点である。その外にも頼まれれば断らないできた。

5、演劇も若いころから好きだった。役者や演出家には向かないが、楽しみながら、応援団を務める。参加するだけでストレス解消にもなる。

6、長寿の秘訣は最も身近い近藤康男先生という101歳に学んでいる。
 先生観察していると、その特徴は、
 (1)いつも好奇心に富み、何でも新しいものに挑戦する。
 (2)社交性があり、友達の世話をして一緒に楽しむ強調性があること。 若いものの声もよく聞く。
 (3)いささかの自己顕示性があり、人前で話をすることを好む。
  テレビは主演は駄目だが、新聞・雑誌のインタビューには快く応じる。

7、いわば、これが生き甲斐というのである。私のメルマガ『電子耕』もその集約的現れである。無理をせず、いつまで続けられるか、21世紀の観察者として存在したい。1日1日何か楽しい。それをワープロで記録し、ときにメルマガで発信する。

8、最期に私には、好きな仕事を理解し干渉しない妻がいる。そしてインタネット・メルマガの作業をサポートしてくれる息子がいる。「老いては子に従え」「負うた子に浅瀬を教えられ」というのはけだし名言である。

(了)


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