百歳を迎える近藤康男先生の編著
『七十歳からの人生』に学ぶ |
1999年1月1日に満百歳を迎える、生涯現役の農政農経学者の70歳からの仕事。「日本の農業問題ウォッチャー」として、一国の基礎たる農業の、都市と農村が連携した社会のあり方を提言し励まし続けた30年。
1998.8.18 原田 勉
古希はいまどき珍しくないが、七十歳前後は人生の大きな節目である。
この節目を越えて百歳まで生きることは容易ではない。しかも、百歳でなお現役を続けるというのはもっと難しい。そのうえ、百歳で自らの人生を顧み、その経験を著述していることは世にも珍しいことである。
百歳で、現役で、著述ができる。それが成立っている条件とは何か? その論証がこの本である。身近にいてこの本の編集を手伝いながら得たことを紹介しよう(以下敬称略)。
一、日常生活を自分で行い、家庭菜園で作物を育てる
朝起きてから雨戸を開け床をあげる。洗面をして庭に出て柔軟体操をする。自家菜園の野菜の成育を観察する。先週耕して種をまいた小松菜が芽を出しはじめ、その成育を見るのが楽しみだという。
四十坪の菜園にナス、トマト、キュウリ、トウモロコシ、ニンジン、ニラ、レタスなどが育ち、家族が食べる野菜はほとんど自給自足である。この菜園つくりはもう六十年も続けている。晴耕雨読とは昔から言われているが本当に楽しみながら実行するということはこのようなことであろう。
老人は十時間寝ることといって、好きな野球のナイターも九時になるとスイッチを切って寝る。寝付きをよくする頭から肩の指圧も二十年くらい続けている。こうしてできるだけ人の手を煩わせず、自分で出来ることは自分で行う。これが長寿の秘訣である。
二、毎日仕事場に通勤する
午前九時すぎ、カバンを肩から掛け、高井戸駅まで歩く。電車とバスを乗り継いで、練馬区立野町の農文協図書館に出勤する。役員室が書斎で机上には拡大読書機がある。弱視になってから専らこの機械で読書や執筆をおこなう。
午前二時間、午後三時間、昼食後三十分の午睡をかならず行う。
この農林水産専門図書館に図書約二万点を寄贈し近藤文庫として研究者にも閲覧させるが、自分の書架として著述に利用する。
ここに通勤することが規則正しい生活と健康のためになるという。
三、組織の一員として社会活動に参加する
七十歳をすぎても大学の特任教授を務めていたが、同時に七十二歳から「農林行政を考える会」を組織し機関誌「農村と都市をむすぶ」の編集代表となった。毎月一回の研究会や座談会に参加し執筆も分担する。農村調査や中国視察なども同じメンバーが参加する。ここから何点かの著作も生まれた。
もう一つの組織、文化運動団体の役員として職員の研修会の講師となり、文化運動の五十年史をまとめた。現在通勤している農文協図書館の役員もその一端である。このような場所を与えて貰ったのは人徳の現れである。
四、目標を立て二、三年で成果が現れる著述をする
七十歳から著述した図書の大部分は「過去を忘れず」というテーマである。過去の経験を振り返り、現在何をなすべきかを自問し、まとめたものである。
七十一歳のとき刊行した『日本農業論』のまえがきで、
「社会の動きを正確に認識するには底辺に置かれている分野の役割を認識せよ。その一つは農業史である。農業は日本資本主義を育てる母なる大地であった。二つめは日本農業の現状分析である。それが私でなくてはできない仕事と自分自身に言い聞かせてきた。そしていつも眼の中においたものは国家独占資本のもとにおける農業の崩壊、農民の収奪である。その流れにストップをかけること、たとえそれがドン・キホーテの業にすぎなくても、それは私のなすべき仕事と考えてきた」
と言っている。七十歳過ぎの著作年表にあるものは殆どはこの考えに基ずいているといっていいだろう。
その具体的テーマは自ら選び出し、資料を分析し二、三年うちに完成したものである。こうして七十歳すぎても十八点の著作を生みだした。その蓄積がこの本である。
読者としてのわれわれはここから多くの学ぶべき事柄がある。七十歳から如何に生きるべきか、の指針がある。
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